塾講師。この怪しげなるおのこども。

 

       -正しい塾の選び方②-

 

1 塾の講師というと保護者の皆さんはどのようなイメージを持たれているでしょうか。自分でいうのも何ですが、私自身は塾の講師に対してあまり良いイメージは持っていません。所詮は受験戦争の谷間に咲くあだ花にすぎない学習塾という業界にたむろする、何となくうさんくさい、怪しげな存在というイメージが拭えません。

 それは何故でしょうか。おそらく、生徒の目標校への合格について塾が寄与する程度などというものは実は微々たるものであって、すべては生徒本人の頑張りの結果であることを一番よく知っているのは他ならぬ塾自体であるにもかかわらず、いかにも塾の指導が良かったからなどと宣伝して他人の成功はちゃっかりと我が物顔で利用する一方で、成績が上がらない生徒については生徒自身の責任に押し付け、月謝を運んでくれさえすれば良しとする無責任な体質をもつ学習塾という業界に職を得ている経歴のはっきりしない人たちというイメージがあるからです。 こちらを参照

 実際、自塾の「合格実績」とやらを派手に宣伝しているチラシやホームページ等はよく見かけますが、その中に自塾の講師について学歴を初めとした経歴をオープンにしているものはほとんど見かけたことがありません。生徒に対し「君も有名校へ行くべきだ」と受験指導しているはずの塾が、自らの講師について学歴等を明らかにしないのは、自己矛盾の最たるものですが、もちろんこれはそもそもオープンにできる学歴等をもった講師がいないからなのです。こちらを参照

 

  2  では、実際にどのような人たちが塾の講師という職業に就いているのでしょうか。以下は、この業界に入って間もない素人塾経営者である筆者の独断と偏見による分類です。

 ①学生アルバイト

 塾の講師でまずイメージするのが、これでしょう。大卒の学歴を持たれている保護者の方も自分の学生時代には塾なり家庭教師なりでアルバイトをされたことがあると思いますが、学生アルバイトの場合、何より、上は東大、京大、国立大医学部から下は名前を書いて入学金を納めれば合格となる大学まで、その質はピンキリです。また、一般に受験経験から間もないことから知識(受験のためだけの表層的なもの)はそれなりに残っている反面、まだ精神的に未熟ですから、何より責任感に疑問符がつきます。まあ、まだ社会に出ていないので仕方ないですけれど。

 

 ②学生アルバイトからそのまま職業としての塾講師となった人

 学生時代に塾講師のアルバイトを経験しても、ほとんどの人は塾講師という職業が男子の一生を賭けるにふさわしい社会的評価のあるものとは考えていないため、卒業と同時に他の色々な職業に就いていくわけですが、他に就職することもなくそのまま職業としての塾講師になってしまった人たちがこれです。その動機はさまざまでしょうが、多くは他に就職できなかった人が多いと思われます。一昔前は「デモシカ先生」という言葉が流行しましたが、「デモシカ先生」にも採用されないので、仕方なく「デモシカ塾講師」になった人たちです。判断力の未だ乏しい子供を相手に、昔取った杵柄でする商売ですから、あまり胸を張れる職業とはいえないのですが、本人にその認識は希薄です。大人社会で揉まれることなく子供相手の気楽な商売に浸っているうちに社会性が身に付かないまま年月が過ぎていきます。でも、一方で、やっているうちに気がつくのです。これはひょっとすると「おいしい」仕事かも知れないと。やがて、独立して塾経営を始めるや否や、塾の拡大路線にまっしぐらです。低コスト高収益な指導システムである映像授業に目を付けて、その導入にも積極的です。保護者の目くらましに成功して生徒が増えて塾経営がうまくいき始めるや否や、自分は実は社会的尊敬に値しない人間であることは棚に上げて、いっぱしの教育者気取りの言動を始めるのも、この人種の特長です。

 

 ③脱サラして塾経営を始めた人

 学校卒業と同時に他の職業に就いていたが、上から押さえ付けられ、下からは突き上げられるというサラリーマン社会の辛さに耐え切れず、脱サラしたものの、自分には何の資格もないことに気づき、やはり昔取った杵柄で塾経営を始めた人たちです。ある程度の年齢に達していますし、養うべき家族もいます。最初から塾経営で飯を食う覚悟で始めていますから、必死で生徒の獲得に走ります。低コスト高収益な指導システムである映像授業も積極的に導入します。この人たちにとっては、塾はあくまで飯を食うための手段に過ぎませんから、この人たちの経営する塾にボランティア精神を期待するのは無理というものです。また、生徒が入塾してくれるまでは低姿勢でも、サラリーマン時代に上から押さえ付けられていたことの反動で、塾生となった生徒・保護者に対しては一般に上から目線です。特に、サラリーマン時代に学歴による差別を受けてきた経験から、生徒・保護者に学歴の重要性を説くことには雄弁ですが、自分の学歴を述べることには寡黙です。それが経営上マイナスに働くことを十分知っていますから。この人たちもまた、塾経営に成功し始めると、自分はサラリーマン社会からの落後者であることを棚にあげて、いっぱしの教育者気取りの言動を始めます。「生徒諸君、頑張って勉強して有名大学を目指しなさい。」等と、偉そうなことを言うのですが、「あなた、サラリーマンが務まらなかったから、このような怪しい仕事をしているのじゃないの?他人に偉そうに言う前に、自分の恥ずかしい学歴と職歴を明らかにしたら?」とツッコミを入れたくなりますね。(笑) こちらこちらを参照

 

 ④学校の教師を定年退職して塾を始めた人

 長年の教師経験があるので、塾の即戦力です(仕事とはいえ40年近くもカビの生えたような内容をずっと教えていること自体が驚きですが)。でも、やはり上から目線が気になります。なにせ、他の職業であればたとえ最高学府を卒業していようともただの一兵卒として雑巾がけの日々から始まるものなのに、この人たちは、学校卒業と同時に「先生」と呼ばれるわけですから、自分は特別な存在だと思ってしまうのでしょうか。学校という閉鎖社会の中で子供相手の日々を送ってきているうちに、大人社会の常識が身に付く機会がほとんどないまま日々が過ぎていきます。そもそもサラリーマン社会なら当然であるヒエラルキー(階層)というものがほとんど存在しない学校組織の中で、たとえただのヒラ教員でも、40年近くも「先生」と呼ばれ続けていれば、いつの間にか自分は偉い存在なんだと錯覚してしまうのですね(実態はただのデモシカ先生なのだが)。人間は、上から押さえ付けられ、下からは突き上げられ、横からは攻められる中で、特に中間管理職の悲哀を味わうことで精神的に成長するものなのですが、多くの人はそういうことも経験しないで飯が食える上に、退職後も40年前の知識で食えるという、かつてのグリコの宣伝(「一粒で二度美味しい」)を地で行く学校の「先生」とは、何とも幸せな職業ですね。(とは言え、実際に学校の教師を定年退職後に塾講師になろうとするような者は、大抵がヒラ教師上りである。学校が一般社会と比べていかに暇でも、校長や教頭などの管理職は下の教師たちが働かない分、それなりに心身ともに疲れるからだろうか、退職してからまで塾講師をしようとは思わないようだ。)

 

 ⑤他の職業を定年退職して塾を始めた人

    教育関係以外の仕事を長年勤め上げた上で、第二の人生を自分の子供以外の青少年の教育に捧げてみようと塾を始めるパターンです。仕事人生の酸いも甘いも全て経験していますし、自分の子育てもほぼ終えた年代ですから、生徒がほとんど孫に見えてしまうため、ボランティア精神がたっぷりです。まあ、筆者がこれに当たるのですが、初めて塾業界なるものに入ってみると、世の中にはこのような怪しいことを職業にしながら飯を食って子育てしている人がいるのだなと不思議な感覚です。自分の子供の教育すら満足にすることは容易でないのに、たとえ塾といえども、他人様の子供を預かって指導するなどという大それたことは余程の自惚れか野心がなければ出来ないことだと自戒する日々です。
 いわゆる団塊世代とそれに続く筆者の世代は、大勢の同級生の中で揉まれながら成長し、今と違って大卒が希少な時代の受験戦争を勝ち抜いて大学に入学し、卒業後は企業戦士となって日本の経済成長を支えてきた人たちです。今彼らが大量退職時代を迎えていますが、彼らこそ自分の基礎を作ってくれた故郷に帰って孫世代の教育に携わってほしいものです。
教育以外様々な分野での知識経験は、ブラックボックス的な教育分野に必ずや新風を吹き込むものと確信しています。でも、この人たちも、やはり年齢からくる相応の体力的な衰え(?)がたまにキズですね。

 

  3 とまあ、以上、勝手なことを書きましたが、いずれにせよ保護者の皆さんには、塾講師なる怪しげな存在について、少しでも理解して頂いて、お子さんの塾選びの参考にしていただけたらと思います。

 何といっても、学習塾の良し悪しは講師次第です。いかに良い設備で、いかにエセ「合格実績」が派手であろうと、何の役にも立ちません。むしろ有害無益です。

 保護者の皆さんは、あなたのお子さんの指導に当たる講師について、まず自ら塾に問い合わせた上で(講師の学歴等の公開を渋る塾はやめましょう)、学歴、教務力はもちろんのこと、自分の子供を一定時間預ける上で信頼に足りる人間なのかどうか、その人間性までも含めた「講師力」をじっくりと検討し、お子さんを通わせる塾を決定していただきたいと思います。