無知な保護者が怪しい塾のカモになる

 塾長夫婦が40年振りに故郷に帰って学習塾を開業して1年3ヶ月が過ぎた。地元の出身とはいえ浦島太郎のような塾長夫婦ではあるが、おかげさまで徐々にではあるが塾生の数も増えつつある。その中でひとつ顕著な傾向がある。それは当塾の塾生の保護者には地元出身でない方が多いということである。神奈川県、静岡県、愛知県、大阪府、岡山県、広島県、山口県、福岡県の出身の保護者の方がいらっしゃる。このような香川の西の片田舎に多くの他府県出身の方が住んでいること自体が驚きであるが、当塾のような小規模塾の生徒の保護者にこれだけ他府県出身の方がおられることは更に驚きである。その理由を考えてみるに、私達夫婦の経験から言っても、自分の故郷以外の地で生きていくのは、自分の祖先が造った基盤の上に乗っかって気楽に生きるということができないため大変な苦労があるものだが、その分、この地独特の因習に囚われない自由な考えを持ち、物事を客観的に見ることができることになる。「友達が通っているから」、「値段が安いから」等という浅はかな理由で塾を選ぶのではなく、私達夫婦の指導力に対して客観的な信頼を頂いた上で我が子を託してくれているのであろうと心から感謝している。

 さて、私達夫婦は学習塾業界に入ってまだ間もないが、つくづくこの業界は怪しい業界だと思う。自分の学歴すら明らかできないような人間が、自分の子どもに少しでも高い学歴をつけさせてあげたいという保護者の素直な心情につけ込んで指導と称して大枚をふんだくっているのである。本当かどうか確かめることのできないような(実はほとんど嘘と思われる)指導実績とやらを声高に叫ぶ一方、成績の伸びない生徒についてはその自己責任に押し付け、お金を運んでくれさえすればよしとする(このような生徒のことを塾業界の用語で「運び屋さん」と呼ぶそうだが。)。1クラスに何十人もの生徒を詰め込んだ、ほとんど「学童状態の塾」こそが塾の成功モデルなのである。要するに、実態は一定の時間子供を預かっているだけに過ぎない学童代わりなのである。それにしては預り賃が高すぎると思うのだが。

 実際に指導してみてわかることだが、一度に複数の生徒に教える場合、生徒全員の能力を伸ばすことができるのはせいぜい数人が限界である。それでも本当に理解している子とそうでもない子が出てくるのである。ましてや10人以上の生徒を一斉に教える場合に全員の力を伸ばすなどということは不可能であるといってよい。そのような授業で理解できるな子なら、そもそも塾など必要はないのである。

その上、そこで指導(もどき?)をしているのは、塾講師という怪しい人種である。片や、個別指導を売りにしている塾の場合も、そこで教えてくれる先生は、なおさらどこの大学に行った人なのかわからないような人達である。大卒であることすら疑わしい。考えてみれば、このような香川の片田舎に、いい年して正業に付かない有名大卒が残っているはずがないのである。

 そもそも、集団指導であれ個別指導であれ、自分の学歴すら明らかできないような怪しい人間に、可愛い我が子の指導を託する保護者の気が知れない。塾の嘘の宣伝文句に踊らされているだけなのに、そのことに気付かないまま大枚をはたく。自分が汗水たらして稼いだ貴重なお金をドブに捨てていることに気が付かない。(お金をドブに捨てているだけではない。我が子がせっかく持っている思考力すら、怪しい人種による、訳のわからない「指導」とやらで奪われていっているのに。)その先には、保護者が聞いたことのないような、「大学」とは名ばかりの所へ子供を「推薦」と称してお金の力で入れることしかできない状態が待っているのである。まさに「信じる者は救われる」を地で行く、幸せな親達なのである。 

 まあ、自分自身本当の大学受験というものを経験したこともなく、たまたま自分の親から受け継いだ遺産の上に乗っかって生活・子育てし、将来は子や孫と一緒に暮らせればそれが幸せであると信じて疑わない類の親にとっては、塾を学童代わりに利用できればそれで足りるのかも知れないが、子どもの将来のことを本当に思うのであれば、何とも情けない話ではある。

 

 本当に我が子の将来を思い、その可能性を伸ばしてあげようとする親であれば、必ずや私達夫婦の指導力に子どもを託してくれるであろうことを信じて、少ないながらも通ってきてくれている現在の塾生一人一人の学力向上のために全力を注ぐ毎日である。

大枚を はたいてエセ塾 通わせる

2015.1.31