馬に食わせる程の宿題を出す塾とそれを喜ぶ無知な親

 塾長の公務員時代、多くのメンバーが集まる会議でプレゼンをする機会がよくあったが、まだ右も左もわからない新米であった頃、会議のプレゼン役を乗り切る方法として先輩から伝授されたのは、「馬に食わせるほどの資料」を配ることである。会議を効率よく進めるために説明事項をまとめたレジュメを配布して、それに基づいて説明するのはよくあることだが、プレゼン役が一番恐れるのは、説明後の質疑応答の時間に自分の理解の不十分な事項について聞かれて、うまく答えられず、恥ずかしい思いをすることである。これをできるだけ避ける方法が、「馬に食わせるほどの資料」を配って、相手に質問させないことなのである。相手が資料を目を通すのに精一杯で、質問する余裕をなくさせるのである。プレゼン役としては何とも情けない方法ではあるが、それでとりあえず何とか凌げることがあることも事実である。

 さて、当塾への保護者の方からの問合せでよくあるのが、「宿題はたくさん出してくれるのか」、「定期試験や診断テストの過去問集はあるのか」といった質問である。当方の答えは決まっている。

 まず、当塾では基本的に宿題は出さない。塾での授業だけに集中してもらう。なぜなら、生徒たちは学校からの提出物という名の宿題で手一杯なのである。内申に直結する(これはこれで大きな問題であるが)学校の宿題は嫌でもやらざるを得ないが、その上に塾が宿題で生徒を苦しめてどうするのか。宿題を出すことで保護者に対して私達はお子さんを指導していますよという体裁を繕っているだけなのではないか。

 また、過去問については、もちろん各試験の対策は徹底してやるが、過去問はあくまで過去問であって、その解答を覚えたからといって本当の実力になるわけではない。本当の学力をつけることこそが肝要なのである。定期試験(中間テストや期末テスト)なら過去問を覚えることである程度の得点はできるだろうが、それは本当の実力ではないから、必ず後になって馬脚を現すのである。過去問を手に入れて喜んでいるようでは、「大学」という名前だけの、行くだけ無駄な所に「推薦」という名のお金の力で入るくらいのことしかできない。なのにそれで喜ぶ無知な保護者が多いのが何とも情けないことだ(おそらくその保護者自身が本当の大学受験を経験したことがないのであろう。三観地域でのクラス分け程度の意味しかない高校受験とは訳が違うのだが。)。

 生徒に本当の学力をつけさせるためには、日々の授業の中で、生徒が自分の頭を使って考え、答えを導き出すようにコツコツ根気強く指導していくしかないのである。塾が上級生から手に入れた過去問や類題をコピーして、ドッサリと生徒に渡すだけなら、何も市販の問題集を買い与えるのと変わらない。会議で馬に食わせるほどの資料を配って質問を遮ってごまかすのと同じやり方なのである。

 要するに、自分の指導力に自信がないからこそ紙爆弾でごまかすのである。生徒に分かりやすく解法指導する自信がないのである。あるいは、そもそも講師自身が自分で解く力がないのだろう。子供に基本を根気強く指導する代わりに紙ばかり与えてどうするのか。

 紙ばかりもらっても、筆者の子供時代ですら既に農家でも馬は飼っていなかったから文字通り馬に食わせるのは無理だったが、それでも風呂焚きの火付け紙くらいにはなったかも知れないが、今ではただのゴミ増やしである。

 私どもの塾では、ちゃんとした大学に入るために必要な事項はすべて講師の頭の中に入っているから、必要以上の紙は配布しないのである。

 過去問を 馬に食わせて 金を取り

2015.1.31