勉強ができなかった人間が教える塾が繁栄する不思議

  勉強ができなかった人間が教える塾は決して自分の学歴を明らかにはしない。代わりに、自分の塾がいかに素晴らしいかを宣伝することに巧みである。それはそうだろう、自分の恥ずかしい学歴を明らかにすれば生徒が逃げていくのが必至だからだ。

  不思議なのは、そのような塾に可愛い我が子を通わせる保護者の心境である。塾でどのような「指導」とやらがされているかには関心がない。ただ、周りの友達が通っているからきっと良い塾なんだろう我が子を通わせる。そんなことで我が子が賢くなるならこんな簡単な子育てはない。子供を賢くさせたいなら、ちゃんとした指導者につけなければならない。競泳の平井コーチ、シンクロの井村コーチ、マラソンの小出監督、テニスのマイケルチャンコーチ等々、選手が素晴らしい成績をおさめる陰には必ず良い指導者がいるのである。

 友達がみなその塾へ行くから我が子も行かせるという考えでは、はっきり言って、親の学歴は越えられない。もちろん昔と違って親に経済力のある現在では、親が高卒だからといって子供も高卒ということはないだろう。一応名の通った大学(親の世代が名前を聞いたことがある大学)ではなく、校門の前でにこにこ笑っていれば入れてくれる大学(入学金を払えば誰でも行ける大学)に行くことになるということである。そうではなく、我が子にいい大学に行って欲しい、少なくとも自分の学歴を超えて欲しいと願う親なら、塾選びは慎重にしなければならない。講師の学歴も明らかにできないような塾など論外なのである。

  勉強ができなかった人間が教える(ふりをしている)塾は、自分自身まともな勉強をしたことがないから、「指導」とやらも無茶苦茶である。過去問を覚えろ。英語は単語がすべてだ。数学は解き方を覚えろ。等々。勉強ができた人間は、このような発想では決して勉強ができるようにならないことはみな知っている。はっきり言ってアホの勉強術である。

 英語は何より文の構造を理解することである。単語を覚えたところで、文の構造がわかっていないのでは話にならない。過去問はあくまで出題スタイルを経験してみるためのものであって、それ以上ではない。過去問を覚えたところで意味はない。数学は解き方を覚えるものではなく、自分の頭で考えて答えを導き出すものである。

  勉強ができなかった人間が勉強を教える塾に大枚はたいて通わせた結果が、「校門の前でにこにこ笑っていれば入れてくれる大学」では何とも情けないことだ。

 それなんな? 解けないくせに 子に教え?

2016.11.20